コピーライターって、キラキラしてたの?

よもやま広告業界

オイラは23歳でコピーライターになった。その前はアニメーションカメラマンで、いまも続いている国民的アニメ「〇△□さん」の撮影をしていた。
専門学校時代から目標はコピーライターになることだったので、アニメカメラマンは2年程で切り上げて、半年ほどバイトをしまくってお金を貯め、とある有名講座の受講生になった。

その「コピーライター養成講座」は60年超の歴史を誇る老舗で、数々の著名ライターを輩出してきた機関だ。当時は教室が銀座にあって、週2回、19時から21時まで行われていた。
講師は現役の一流コピーライター。実戦形式が中心のとにかく書かせるスタイルで、中には受講生が書いたコピー原稿を目の前でビリビリ破る講師もいた。いまもそんな感じなのかなぁ。

講座では約半年間毎回課題を出されて、翌週に上位5人程が発表される。最初のひと月は様子見で“あいつはできそうだな”、“こいつには勝てそうだ”な~んて感じで過ごしていると、なんとなく仲良しグループができてくる。
オイラもあるグループの一員だったが、その中に「あの人」がいた。

いまや雲の上の執筆家、H氏(最近は本業以外で叩かれて大変でしたね)。講座が始まって2カ月も経つと、受講生の中で“見込みのある人”がほぼ決まってくる。
そんなピリピリした空気が教室に流れる中、この方、ラジオCMの課題が出たときに、100名ほどのクラス全員が口をあんぐり開けてしまった回答を導き出した。

課題の内容は「某メーカー自転車の優れた点を、街の自転車屋さんの店主にインタビューする」というものだった。99%の受講生が“今日は〇△街の〇〇サイクルさんに伺いました!”的なコピーを書いた。
まあ、普通はそうだよね。ところがH氏は、なんと!コマーシャルソングの歌詞を提出したのだ。それも自前で作曲した譜面を添えて!!

マジでゴイゴイスー!禁じ手じゃね?って、一部の受講生が反発したくらいだ。しか~し、課題を提出した時点で疑いようもなく目立ってる。
これって広告の基本中の基本なんだよなぁ。当然というか何というか、H氏は最優秀賞。この一件で、ほぼ半数の受講生がコピーライターを諦めたと思う。

で、このH氏を中心にした仲良しグループの中にオイラもいた。当時はみんなが貧乏でフリーターがほとんどだったから、歳の差や職業などに気を遣うこともなく、いろんな話をしたのを覚えている。
講座の終了が午後9時だから、みんなお腹ぺこぺこ。教室の近くの「なかよしラーメン」に陣取って、終電近くまでねばるのがルーティンだった。

懐かしいなぁ。オイラもちゃんと青春していたんだなぁ~。コピーライターを目指した訳は、追々紹介したいと思う。
広告業界は特殊な業界だから、本当はこのH氏のことをはじめ、あけすけな話をしたいのだけれども、そこはまあコンプラっちゅうこともあり、そこそこ差し障りのない範囲で「広告業界のいい時代」をつらつら語っていければなぁと思っている。

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