ニックネームは、“ガラ”ちゃん

病気のデパートや

東北地方の片田舎で生まれたオイラは、幼少期から“病気のデパート”と言われてきた。小学校時代は胃腸の弱さに悩まされる日々が続き、勿論、色白でヒョロヒョロのもやしっ子だった。つけられたニックネームは“ガラ”ちゃん。ガラコンサートのガラなんて上品なもんじゃなくて、鶏ガラのガラちゃん。今なら問題になってたかもしれないが、実は意外と本人は気に入っていた。不思議とハブられることもなかったし、クラスメイトに恵まれたのだと思う。

オイラには2年生の終わり頃まで、ほとんど学校に行った記憶がない。たまに行っても保健室で寝ていることが多かった。そこには同じような女子が一人いて、二人は常連さんだった。具合は悪いものの、生徒たちが教室に入って静かになった校内の一角、真っ白なカーテンの隙間から陽が射しこんでくる保健室はえらく快適で、1時間も横になって休むと胃痛も和らいで教室に帰ることができた。

そんな毎日だったから、学校へ行くのは億劫だった。登校するとみんなからジロジロ見られるし、恥ずかしいったらありゃしない。まあ、いまみたいにスマホもパソコンもない時代だから救われたかな。SNSに悪口でも書き込まれてたら、きっと小学生で引きこもりになっていたに違いない。

昭和40年代の先生方は1クラス45人(2022年現在、全学年1クラス・生徒数10人前後)の生徒一人一人に真っすぐ向き合ってくれたし、“健康になるぞ~”と、野球部への入部を勧めてくれたのも4年時の担任だった。へろへろのオイラはレギュラーにはなれなかったけれど、入部して半年も経つと一回りも身体のデカイ同級生たちの練習にもついていけるようになっていた。

そしてなんと、この期の野球部は市の大会で優勝してしまった。それは開校以来、初の出来事だったというし、そりゃもう村中大騒ぎだわさ。築100年を超す木造校舎での生活はいまも時々夢の中に出てきて、オイラは懐かしさでいっぱいになる。

ちなみに、よく隣のベッドに寝ていた女子が後に児童会の副会長、オイラが児童会長になることは、この時点では予想できるはずもない。面白いことに、病弱な子どもは何故か要領がいい。自慢するわけじゃないが、オイラは小学校入学時点で、6年までの漢字が全部読めた。国語の通信簿は卒業するまで、ず~っと5(いまはどんな評価法なの?)。

理由は簡単だ。「少年サンデー」と「少年マガジン」を毎週読んでいたおかげだ。吹き出しの中の漢字には、ちゃんとルビがふってあるじゃないか。ビバ!漫画!!ありがとう小学館&集英社だ。

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