オイラの元妻は、とてもいい人だった。けれども、いい人なだけで結婚生活が続くわけがない。何しろ家事ができない人だった。きんぴらごぼうを作るのに3~4時間かかる人だった。アイロンがけも苦手(後に実家にはアイロンが無いことが判明)だ。
元妻を責める気は毛頭ない。ただ、どちらかができないことは、代わってどちらかがやることになる。掃除、洗濯、長女の入浴、これらのほとんどをオイラがやっていた。無理をすると必ずしわ寄せがくる。結婚して3年目頃には、オイラの自律神経は限界を迎えようとしていた。
“結婚って、ある意味契約だよね”と、ある友人が言った。自分の仕事に誇りを持っていて、子どもができたとしてもキャリアを捨てずに仕事を続けたい。オイラはそんな女性が好きだった。勿論、結婚前には二人でそんな話もよくした。
ところが、どっこい。2年経っても3年経っても、一向に仕事をする気配がない。オイラの体調はどんどん悪くなって、仕事にも支障が出るようになっていた。けれども、まったく気配がない。いい人なのに。
その当時は世田谷の閑静な住宅街の、新築2LDKに住んでいた。家賃は15万円程だったと思う。フリーランスだったオイラの仕事量は激減して、当たり前の話だけれども収入は急降下した。“おい元妻よ、君に危機感はないのか?”いい人なのに…。
結局、元妻の父親に頭を下げ、都心から片道4時間の実家の世話になることになった。これが離婚への道の第一歩だった。
オイラは東京の事務所を閉めるわけにはいかず、ソファーで寝泊りしながら、週末には一週間分の洗濯ものを担いで実家に帰り、月曜の早朝にとんぼ帰りをするという生活を10年程続けた。
実家での生活は苦痛以外の何ものでもなかった。帰宅すると酒盛りが繰り広げられていて、酒を飲めと勧められる。オイラの体調なんてお構いなし。“元妻よ、君は医療関係者だろ?ここには何故世話になってるんだっけ??”
実家の障子は、家を建ててから一度も張り替えたことがない。そんなこんなだから、ほぼ掃除する習慣がない。ある夏の夜、油でギトギトになった台所へ水を飲みに行ったら、コップ置き場が真っ黒だった。手を伸ばすと、“ガサガサガサ…”あぁ~、Gの大群かよぉ~。
こんなこともあった。冷ややっこの上で踊る鰹節。旨そうじゃないか。ん、ん?踊っていたのは、小さなシロアリだった。バシッ(座卓に箸を叩きつける音)!みなさん、オイラ、ぶち切れてもいいですか??
離婚の苦労は、結婚の比じゃないよ③へ続く…
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